さえもんさん作「オープンカー」に寄せて
1億年(8年)ぶりにここのブログ更新することになりました。
ご無沙汰しております、卓球です。
一週間ほど前、某Pから是非見てほしい動画があるとメッセージがきまして、それがこちらの動画なのですが
ご無沙汰しております、卓球です。
一週間ほど前、某Pから是非見てほしい動画があるとメッセージがきまして、それがこちらの動画なのですが
作者はさえもんさん。
曲は家主というバンドの「オープンカー」という曲です。
もし愛球大名曲という生放送を聞いてくれてる人がいたらご存知かもしれませんが、いま自分が一番好きなバンドがこの家主です。
もう少し言えば、ここ5年、10年で発表された曲から1曲だけ選べと言われたら選んでしまうかもしれないくらい、本当に大好きな曲なのです。
タイトルを見た瞬間、自分以外にも家主を聞いてる人がいて、その人がアイマスを好きで動画を作ってくれた嬉しさと、もし自分の好みと違う動画だったらという不安が同時に湧き上がりました。

開始2秒で不安なんて吹っ飛んだよね。

リズムをしっかりと掴んで丁寧に丁寧に組み上げられたダンスシンクロ。

無理にダンスを繋ごうとしない、シンプルながら疾走感を失わないトランジション。

ハッとさせられる一瞬を切り取るかのようなカメラワーク。

痛快なギターソロに合わせた振り当て。
(なお、本家家主のギター田中ヤコブ氏はライブではこの500倍くらいはっちゃけてます)
自分が動画を作っていた、紹介していた頃を思い出させてくれるような大好きな作風です。
が、一見すればメロディアスで軽快なパワーポップに合わせた、痛快なダンスMADに見えるけど、どこか引っかかるんです。
この曲は、順風満帆とはいえない人生を送っていながら、不安を押し殺してそれでもなんとかなるだろって楽観的に日々を過ごしてる者たちの、やけっぱちの逃避行を描いた曲だと個人的に思ってるんだけど、そんな曲にそれぞれのコンテンツの年長組、そしてアイドルをドロップ・アウトしたことのある奥空心白をフィーチャーしてるのは偶然とは思えないんですよね。

「僕らに明日なんてない」なんてはっちゃけて歌う彼女たちの活動が、本当に順調だったのか。

「僕らの時代だ」という言葉は本心からのものなのか。
自らに言い聞かせる強がりではないのか。

最初は小さなライブハウスから始まり、徐々に大きなステージへとステップアップしていって、最終的には歌詞にある通り、一面の海を望む砂浜ステージへ。
普通に考えれば彼女たちの活動が実を結び、晴れやかなステージで幕を閉じるきれいな作品だ。
しかし、直前の日が沈みかけた夕暮れのステージから、まばゆい光に包まれたステージへの唐突な場面転換はどこか非現実的にも映る。
いや、十中八九歌詞に合わせた演出だろうことは百も承知だ。
それでも、実は彼女たちは道半ばで志が潰えて、笑顔で歌って踊っている姿は作者の願いが見せた夢物語ではないのか。
そんな突拍子もない考えを巡らせてしまう。
でも、どちらでもいいとも思う。
ものの見方や感情はひとつではない。
無理やり背中を押すわけでもない、無慈悲に突き放すわけでもない。
家主の曲の多くがそうであるように、そこにいる人のただ生きている姿を映し、そっと横にいてくれるような優しさが、この動画にはある。
とても素敵な出会いでした。
追伸
2分20秒のあたりでM@STERPIECEのダンスが使われてるのがわかって、「このあとあそこであのジャンプが来る!」って気づいてからのおよそ10秒間は、家主が好きでオープンカーが好きでマスピのダンスを知ってる自分だけの特別な時間でした。

一番言いたかったのはこれなんですよね。
最高。
スポンサーサイト
| home |